なぜ「死」を避けるのか

「死」の話題を避ける。

「死」を、ネガティブなイメージで捉える。

親族が亡くなっても、子どもにご遺体を見せない。

自宅の前に霊柩車が通るのを嫌がる。

 

 

わたしが疑問に感じている、現代日本の傾向です。

先日、TVのニュースを見て呆れてしまった。

最近は、霊柩車が街を走れないというのです。

 

昔、街中でよく見た霊柩車。

最近では、その車を見ただけでは霊柩車だとわからない車(霊柩車)に変わっていっているそうです。

地域によっては、昔ながらの霊柩車は走ってはいけないというところまであるそうで

その車は、火葬場にも入れないんだとか。

葬儀場近くの住民も、「うちの家の前は走るな」とか言うんですって。

 

 

そのニュースを見て、「はあ????」

あのさあ、あんたたちもいずれ死ぬんだよ。

人間の致死率は、100%!

他人の死を避けるということは、自分の死についても目を逸らしてるってことじゃあないですか?

 

人間は、生まれたそのときから「死」に向かっているんです。

生きているときから「死」と向き合うからこそ、「今、自分は何をすべきか」が見えるし、いざ死を宣告されたときにうろたえずに現実を受け止めることができるのです。

 

核家族化が進み、ご近所付き合いも薄くなって、人の死に触れることが圧倒的に少なくなってきています。

だからこそ、意識的に考える必要があると、わたしは思うのです。

赤ちゃんが生まれたときには、周囲は喜び、お祝いムードとなります。

でも、本当に心から「生」を喜び、感謝するには、人生を終える「死」をしっかり受け止めることができてこそ。

 

もっというと、出産は、命がけなのです。

わたしの妹は、出産時に危篤状態に陥り、奇跡的に助かりはしましたが、一時は本当にダメかもしれないと思いました。

 

いつ何時がんを宣告されても、いつ何時大切な人がいなくなっても、しっかり現実を受け止めることができるよう、今から自分のこころを育てておくのも大切だと思います。

 

 

ちなみに、学校教育の中でも、助産師さんが出産について講演したり、赤ちゃんを抱っこする授業があったりしますが、「死」についての授業は圧倒的に少ない気がします。

授業をする先生自身が、「死」について深く考えたことがないため、難しいと感じているのかもしれませんね。

 

 

今日の絵本は、「人間の死」について深く考えられるものを選んでみました。

今日は、絵本を通して、自分の「死」について、大切な人の「死」ついて考えてみてはいかがでしょうか。

「小学生のボクは、鬼のようなお母さんにナスビを売らされました」

原田剛 著/筒井則行 絵/ワイヤーオレンジ 刊

「このあと どうしちゃおう」

ヨシタケシンスケ 作/ブロンズ新社 刊

「葉っぱのフレディ」

レオ・バスカーリア 著/みらいなな 訳/童話屋 刊

「僕は46億歳。」

豊田充穂 著/杉田精司 監修/学研教育出版 刊